第一発見者のアルバイトのほか、内田が倒れているのに気づいた別の男性アルバイトも様子を見ており、リーダーの連絡と監督者の到着まで10分近くかかったという。その間、内田のいびきのような音も徐々に小さくなっていることに気付いたという。
スーパーバイザーは警備員付きの車いすを持ってきたが、とても車いすで乗れるような状態ではなかったので、今度は携帯電話でアマゾン社員に電話をかけたという。10人ほどのアマゾン社員とセンターの救護班がAED(自動体外式除細動器)を持って到着した。しかし、応急処置をしたとたんに、内田は血を吐き始めた。
ようやく救急車が呼ばれ、物流センター1階に到着したのは10時半過ぎだった。内田が倒れてから約1時間が経過していた。搬送先の病院で息を引き取った。死亡診断書に書かれた死因は、クモ膜下出血だった。
亡くなった日の朝、内田と話した庄司恵子さん(仮名)は、「9時の始業前、2時に内田を見た」という。
9時の始業前、2階の静脈認証コンピュータの前で顔を合わせ、いつものように「おはようございます」とあいさつをした。私が「2階で仕事をしています」と言うと、「いつも通り4階のBトンボで仕事をしています」と返事が返ってきた。昼に会おう」といって別れた。同じ出勤日の時は、いつも仲間数人と一緒に昼食をとっていた。
ところが、昼の昼休みになると、内田は食堂に姿を現さない。庄司は「どうしたんだろうね」「休憩時間がずれるなんて、めったにないことだよ」と仲間と話した。
誰かが亡くなったという話は、一度もなかった。
庄司が内田が倒れたと聞いたのは、午後5時頃だった。仕事場が移動になったので、割り当て表を見ていると、他のパートさんから “今朝、内田さんが倒れたの知ってますか?”と聞かれたそうだ。内田が病院に運ばれたことを、私は初めて知った。内田が亡くなったことを知ったのは、翌日出勤してからのことだった。バイト仲間が教えてくれたのだ。庄司は、「もちろん、びっくりしましたよ」と振り返る。
もちろん驚いたが、それ以上に信じられない気持ちだった。朝、一緒に昼食を食べようと話していた人が、突然いなくなってしまったことが信じられなかった。そんな別れを経験したのは生まれて初めてで、他にも別れの方法があることを知り、唖然とした。
冒頭、西川が嘆いたように、物流センターの朝礼では、内田が亡くなったという事実は一切語られることはなかった。内田が亡くなった翌日に出勤したパートタイマーは、「朝礼で、病院と緊急の打ち合わせをしました。
朝礼で、緊急に病院に運ばなければならない作業員がいることは言ったが、倒れている作業員を発見してから病院に運ぶまで時間がかかりすぎたという話だった。しかし、誰かが死んだという話はなかった。しかし、毎日顔を合わせている同僚が亡くなれば、その知らせはすぐに伝わります。内田さんと面識のある人なら、ほぼ全員が亡くなったことを知っていたと思う。